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日本文化豆知识:“大阪”以前是“小坂”?!

· 日语,宁波AuT,宁波学日语

学生時代、日本史のテストで「大坂の陣」を「大阪の陣」と間違って書いてしまった!そんな経験がある方はいませんか?

 

 

学生时代,有没有曾在日本史考试中,把“大坂之阵”搞错写成了“大阪之阵”?

 

*大坂之阵是江户幕府消灭丰臣家的战争。

 

テニスの大坂なおみ選手が全米、全豪オープンで優勝するなどして現在ほど有名になる前は、テレビのテロップやウェブニュースでも勘違いして「大阪なおみ」と書かれるようなことがあったようです。

 

 

网球选手大坂直美还没有因为拿下全美和全澳公开赛冠军而成名之前,电视字幕和网络新闻也常常将她的名字错写成“大阪直美”。

 

 

ともあれ、現代では当たり前のように使われている「大阪」という地名ですが、いつ、どうして、昔の「大坂」から「大阪」へと字が変わってしまったのでしょう?

 

 

这一错误姑且不论,现代我们理所当然地使用着“大阪”这一地名,这又是从什么时候开始,又是为什么从以前的“大坂”改成“大阪”的呢?

 

 

その昔は「小坂」だった!?

 

 

最早以前是“小坂”?!

 

 

実は、「大阪」という表記が使われるようになったのは、それほど大昔というわけではなく、江戸時代から明治時代にかけての時期のようです。

 

 

其实,开始使用“大阪”这一写法并不是很久远的事,大约是在江户时代到明治时代之间。

 

 

「おおさか」は、もともとは現在の大阪市の東部、ちょうど大阪城が建っている上町台地の北の端っこあたりを指した地名だとされ、「小坂」と書いて「おざか」や「おさか」と読んでいたといいます。しかし、室町時代に浄土真宗を民衆に大きく広めた本願寺8世の蓮如(れんにょ)上人が「小より大のほうが縁起がよい」と言ったことで、「大坂」と書くようになり、読み方も「おおざか」と読むようになった、という説があります。

 

 

“おおさか”原本是指现在大阪市东部、正好是大阪城所在的上町台地的北部边上,写作“小坂”读作“おざか或おさか”。而据说因室町时代在民间影响力很大的净土真宗本愿寺八世莲如上人说“比起小字,大字更吉利”,故改写为“大坂”,念作“おおざか”。

 

 

その後、豊臣秀吉が自ら建てた城を「大坂城」と名付けたことで、「大坂」という表記が一般的になっていきました。そしてさらに時代は流れ、江戸時代になると、「大坂」と「大阪」の2つの表記が混在して使われるようになってきたようです。

 

 

之后,丰成秀吉为亲自建造的城堡命名“大坂城”,使得“大坂”这一写法普遍化。而随着时间的推移,到了江户时代,“大坂”和“大阪”这两种写法都有人在使用。

 

 

「坂」と「阪」はもともとまったく同じ意味を持つものの形が違う漢字、いわゆる異体字です。「阪」は旧字で「坂」は新字だとされますが、それではなぜ、現在では「大坂」という表記が使われなくなってしまったのでしょう?

 

 

“坂”和“阪”本是两个意思完全相同、只是字形不同的汉字,即所谓的异体字。“阪”为旧体字,“坂”是新体字,那为何现在反而不用“大坂”这一写法了呢?

 

 

「坂は縁起が悪いから」説

 

 

有一种说法是“坂字不吉利”

 

 

江戸時代後期の狂言作家浜松歌国(うたくに)の著作に、『摂陽落穂集(せつようおちぼしゅう)』という随筆集があります。これによれば、「坂」という字を左右に分解すると「土に反(かえ)る=死ぬ」という意味になるから、縁起が悪いとして嫌がる人がいたとあります。また、明治維新後には「大阪府」が置かれます。ここで「坂」という字が用いられなかった理由にも、「坂」という字を分解すると、武「士」が謀「反」を起こす、と読めるということでよくないとされた、という説があります。

 

 

江户时代后期的狂言作家浜松歌国的著作中,有一本名为《摄阳落穗集》的随笔集。此书写道,“坂”字左右分解来看,便是“返土”,即死亡之意,有些人觉得不吉利。另外,明治维新之后设立了“大阪府”,而这里不用“坂”字的理由,据说也是因为“坂”字分解后,有武士谋反之意。

 

 

大阪人でも知らない人もこの、「大坂」から「大阪」に変わった理由を知った人からは、ネット上で、

 

 

就算是大阪人,也可能不知道“大坂”改为“大阪”的理由,

 

 

「縁起かついだせいで数百年後にテストで苦しんでるやつ多数」
「気持ちはわかるけど『坂』ってついてる地名ほかにもめちゃくちゃあるだろ」

 

 

“就因为这样比较吉利,让数百年后多少考生苦苦挣扎啊~”
“(考虑吉利不吉利的心情)可以理解,但有‘坂’字的地名不是还有很多嘛”

 

 

といったツッコミが入っています。