恩
恩とは、人から受けた恩恵に対して、社会的、心理的な義務を負うことをいいます。武家社会で主君が従者に土地を与えたことに語源があります。日本の社会は、封建社会を脱してからまだ120年ぐらいの歴史しかありません。基本的には今でも縦社会といえます。そのため、目上の者は目下の者の面倒を公私にわたり見ることが多く、その代わり、目下の者は目上の者に恩を感じて敬意を払い、忠誠を尽くす、という傾向があります。人から受けた恩を忘れることは、倫理上許されません。ただし、他の伝統的日本の心情と考えられるものと同じく、徐々にそのような傾向は薄れつつあることもまた事実です。
所谓的“恩”是指受到他人给予的恩惠后,背负起一定的社会、心理方面的义务。这一词最初起源于武士执政时期主君赐予随从人员土地这一行为。日本脱离封建社会才不过120多年,如今基本上也还算是重视身份阶级的社会。因此,人际关系会有这样的倾向——上司、长辈于公于私常对下属、小辈照顾有加,而下属、小辈则对上司、长辈表示感恩、心怀敬重,并竭尽忠诚。忘恩在伦理上是不可饶恕的。只是,和其他一些传统日本想法一样,这种传统意识也在慢慢变得淡薄,这也的确是事实。
義理/1
日本的な情念・倫理の概念は、英語に正確に翻訳することは大変困難です。義理も英語に同じ概念はありません。封建社会の中で形成された義理の概念は、主従、親子、夫婦、兄弟、朋友、(時には敵や取引先)という人間関係の中で最も重視される規範であり、しいていえばこれらの関係の中で恩を受けた相手を思いやりいたわり、時には自己を犠牲にしてまで相手の幸せを実現する決意のことです。
大和感情、伦理概念要想准确地翻译成英语是十分困难的,英语中也没有“義理”这个概念。在封建社会中形成的所谓“情义”在主仆、亲子、夫妇、兄弟、朋友、(有时则为敌人或者客户)这些人际关系中是最被人们所重视的规范。如果硬要说的话,情义应该是这样一种决心,即在这些关系中受到恩惠的人对赐予恩惠的一方给予关怀、照顾,甚至有时宁愿牺牲自己也要让对方得到幸福。
具体的な社会的慣習となって現れる義理は、例えば便り(年賀状など)、贈答(歳暮、中元など)などですが、主体的に行動する場合は、相手が窮地に陥っているときに自己の不利益を顧みず助力することを意味します。
具体到社会习俗的话,情义表现为书信(贺年卡等)、互赠礼品(年末、中元节等)等,如果是个人主动行为,则指在对方陷入困境时不顾自己的利益出手相助。
義理/2
この義理が企業社会などで発揮されるときは、もともと封建的な人間関係に基づいた倫理であるため、企業の原理である合理性に反してまで、上司や取引先に尽くすこともありうるのです。これは欧米の経済活動の原理には反するため、日本の経済活動を批判する理由ともなるのです。しかし合理性が単に自己の利益のみを追求しがちであるのに対し、義理のような人間関係重視の行動原理は、ビジネス社会の中に相互扶助の概念を導入するという効果もあります。ただし、日本では反近代・反合理主義の民族主義者の中にはやくざも多いため、義理が暴力によって表現されるという場合もあり、これは批判されるべきです。
由于这种情义原来是建立在封建人际关系上的一种伦理概念,因此若是在企业社会中展现出来的话,会出现这样一种可能,即就算违反企业原理也要尽力为上司或者客户效劳。这一点违反了欧美国家的经济活动原理,因此成为他们批判日本经济活动的一种理由。但是,讲究合理性的同时也容易变得过于追求自身利益,与此相对的,情义这样的行为原理更看重人际关系,因此有助于将相互扶持这样的理念导入商业社会。不过,由于在日本反近代·反合理主义的民族主义者中也有很多黑帮人士,因此有时候会通过暴力行为来体现情义,这部分是应该受到批判的。
人情
人情とは、ふつうには親子や恋人同士や友人知人などの間に通いあう愛、同情、憐れみ、友情などの人間的な感情をいいますが、日本社会ではもう少し特殊な意味を持っています。人情は義理と対比されることが多く、義理が人に受けた恩義に報いるという人間関係の規範であるのに対し、人情は他人に対する感情の自然な発露です。「人情に厚い」といえば優しく思いやりがある人を指しますが、同時に義理を欠いては社会の成員として一人前とは見なされません。結局、義理と人情は、伝統的に日本の庶民社会の人間関係を律する2大要素でした。もちろん現代社会にも脈々として受け継がれています。
人情一般指亲子、恋人、朋友熟识等关系之间出现的人类感情,比如爱、同情、怜悯、友情等,但是到了日本社会,这个词被赋予了一些特殊的意义。人情很多时候都会被拿来跟情义做比较,情义是指人际关系中报恩这一规矩,相比之下,人情就是对他人感情的自然流露了。说到日语中“人情に厚い”这一表达,指的是待人亲切、会体谅他人的人,但同时若缺少了情义,作为一名日本社会成员来说是不够格的。说到底,情义和人情是传统日本平民社会中约束人际关系的2大要素。当然,在现代社会中也会被人们代代相传下去。
恥
恥の意識は日本人の精神の中核をなすといわれています。これは社会人類学者ルース・ベネディクトが、西洋の「罪の文化」に対して日本を「恥の文化」と規定したことから広がった認識です。西洋では罪という絶対的な倫理基準が人々の行動原理をなしていますが、日本では内的な原理ではなく、外的な恥という感情が行動を律しているというわけです。このような単純化にはさまざまな批判があります。西洋人にも日本人と同じ意味での恥の意識はあるし、日本人にも内的な道徳律がある、というわけです。しかし日本人が恥を重視するのは確かです。特に封建時代の武士にとっては、人前で恥をかくことは死に価したのです。
羞耻意识被称为构成日本精神的核心。这是社会人类学家Ruth Benedict提出并传播开来的一种认识,即相对于西方的“罪感文化”,日本是“羞耻文化”。在西方,罪这一绝对伦理基准构成了人们的行为原理,而日本用来约束人们行为的不是内在原理,而是羞耻这一外在感情。如此简单化的判断引来了各种批判,因为和日本人一样,西方人也有同种意义上的羞耻意识,日本人亦有内在道德规范。但是,日本人羞耻之心特别重也是事实。特别是对于封建时期的武士来说,在人前蒙羞足以令其赴死。
根回し
何かを決める際に、混乱を避けて皆の合意をあらかじめ取り付けておくための技術を根回しといいます。このことばの本来の意味は、木を移動させる際に根をあらかじめ切りつめておき、移植を容易にすることでした。
在决定某些事情的时候,为了避免混乱而事先取得大家的同意,这种手段在日语中叫做“根回し”。这词原来是指在移动树木时事先将其根部修短,以便于移植。
異なる意見を持った者同士がいきなり会議に集まれば、なかなか意見の一致をみることはできません。しかし根回しをし、あらかじめ意見を調整しておけば、会議で無駄な時間を浪費することなく結論へと至ることができるのです。しかしこれが政治の場で行われるときには、国民には見えないところで政策が決定される恐れがあり、民主主義的ではないという批判もあります。
各持己见的一些人突然到一起开会的话很难达成共识。但是,如果做好事前工作,协调好意见,就不会浪费会议时间,并且能得出最终结论。只是,如果这在政治场合中使用,会有暗地里瞒着国民决定政策的可能性,因此也有人对其持批判态度,称其不符合民主主义原则。
本音と建前
狭い共同体の中で、その構成員同士が平和に仲良く暮らさなければならないという、日本の地理的歴史的な条件は、人間関係のありかたにも大きく影響を与えています。例えば、本音を言えば相手を傷つけたり怒らせたりするときは、建前を言うことで、共同体の平和を保つことができます。これは皆と違う本音は控えて、建前に順応するという習慣を生み、自分の意見をなかなか言わないという日本人への批判を生む元ともなったようです。しかしほとんどの日本人は自己主張より和を尊ぶために本音を控えているといえます。国際社会では通用しないそのような態度はしかし、日本の国際化とともに徐々に変わってきつつあります。
在狭小的共同体中,成员之间必须和平友好相处,日本的地理、历史条件对人际关系的构成起到了重大影响。举个例子,有些时候说了真心话会伤害到对方,使其动怒,而这时候若用客套话代替,就能维持共同体的和谐。这似乎让日本人养成一种习惯,即和别人意见相左时选择说客套话,也引来了对日本人轻易不说真心话的批判。但是,可以说大部分日本人比起自我主张,都更看重和气,所以才会压抑自己的真实想法。不过,这个在国际社会并不通用的处世态度如今正随着日本的国际化而慢慢发生变化。